2010年4月20日火曜日

感激したこと

学年末試験が無事におわり、新しい年度の前に日本へ帰ってきました。いままでは、日本へ「行く」感じでしたが、今回は「帰ってくる」感じがしました。何となく先が見えてきた感じがしたからかもしれないです。

四ヶ月ぶりの日本は少し肌寒かったのですが、懐かしい部屋に戻り、100歳のおばあちゃんの家に伺い元気を貰いました。

さて、先ほどインターネットである修道女である医師がハイチへ医療活動をする記事が目に留まりました。どうしてもこのblogを読んでくださっているみなさんと分かち合いをしたいと思いました。

82歳シスター医師、約5カ月ぶりにハイチへ  (朝日新聞より)


大地震に見舞われたハイチで約30年間結核患者の治療に携わってきた医師でシスターの須藤昭子さん(82)が、19日夕、被災地視察のため成田空港 を出発した。1月の地震発生時、3年に1度の一時帰国中で、現地に戻れなくなっていた。滞在先のめどもつき、約5カ月ぶりに、ハイチに戻る願いがかなう。
須藤さんは1970年代半ば、まだ結核患者が多かったハイチに渡り、今回の地震の震源に近いレオガン近郊の国立結核療養所で結核やエイズの患者の治療に あたってきた。一昨年、第一線から退いたが、植林・営農支援や後輩の診察の手伝いなどをしながら、引き続きハイチを拠点に活動を続けてきた。
地震後、所属するクリスト・ロア宣教修道女会(本部・カナダ)からハイチへ戻る許可がおりなかったが、財団法人結核予防会の医師らが同行してくれること もあり、視察名目で2週間の滞在が可能となった。
ハイチは現在雨期で、衛生状態が悪い。須藤さんは荷物にたくさんの蚊取り線香を詰め込んだ。各地に散在する結核やエイズの患者が、治療の中断によって、 体の中で薬が効きにくい菌やウイルスが出る恐れがあると懸念する。「家の再建とか、食糧確保のための畑作りとか、他にもできることは手伝ってこようと思 う」と、須藤さん。
帰途カナダに寄り、来月半ばに日本に戻る予定だ。地震直後、国際医療支援でハイチに入った山本太郎・長崎大学熱帯医学研究所教授は、「須藤さんが戻った ら、支援策を一緒に考えていきたい」と話す。(熊井洋美)
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産経新聞のサイトより
2010年3月 8日 ハイチで34年前から慈善活動 女性医師「第二の故郷、復興尽力」


「どうか仲間を見捨てないで」。大地震に見舞われたハイチで34年前から結核患者の治療や植林指 導の慈善活動を続ける日本人修道女の医師、須藤昭子さん(82)が、日本で被災者支援を呼びかけている。ハイチから一時帰国していた今年1月にハイチ大地 震が発生。現地の仲間の安否も分からない中、須藤さん母校・関西医大(大阪府守口市)が義援金を送るなど、支援の輪も広がり始めた。「残された人生はハイ チの復興に力を尽くしたい」。須藤さんは今後の出国を目指し、病院や学校再建に思いをはせている。
カトリック信者の須藤さんは兵庫県西宮 市内の結核病院で勤務後、昭和51年にクリストロア宣教修道女会(本部・カナダ)の医師としてハイチに渡った。一時期はカナダに滞在したが、平成16年に 再びハイチに戻り、地震直前まで首都ポルトープランスから西に約30キロ離れた小都市レオガンで暮らした。
レオガンでは、80歳で引退す るまで「国立シグノ結核療養所」で働いた。ハイチ人は結核の罹患(りかん)率が高く、療養所には連日200人以上の患者が詰めかけた。医療器具は当初、注 射器1本だけで、入院病棟も一部は野ざらしだった。間もなく政府が新病棟の建設に着手したが、レントゲンなど医療設備の整備は他国の援助頼みだったとい う。
須藤さんが滞在する間、貧困にあえぐハイチ国内はクーデターや国連による経済制裁などで混乱が続いた。町では政情が不安定になるたび に暴動や略奪が繰り返され、外国人は大挙して国外に逃れた。療養所の職員が使う政府の車も襲撃されたが、須藤さんは現地を離れようとしなかった。
「私が去ったら患者の面倒を見る人がいなくなる。ハイチの人々を見捨てることはできませんでした」
医師を引退後は、ハイチで仲間たちと環 境保全団体を結成。植林活動や子供たちへの農業指導に力を入れ、農業学校設立の協議も進めた。昨年11月に日本に帰国する直前には正式に設立も決まった が、その2カ月後、死者20万人超ともいわれるハイチ大地震が起きた。
須藤さんは今、同会の東京本部で生活し、出国に向けた準備を進めて いる。通信手段を持たないレオガンの仲間たちとは連絡が取れず、安否さえ分からない。だが、「日本にいる間にでもできることはある」と日本の政府関係者や 医療関係者に支援を訴えている。
そんな中、母校の関西医大では大学職員やOBなどが約130万円の義援金を須藤さんに託すなど、善意は広 がりつつある。義援金は現地の病院や学校再建に役立てるつもりだ。
「ハイチは私の第二の故郷。一刻も早く国に帰り、患者や仲間たちと国の 再建のために働きたい。そして、世界の人々には長い目で復興を見守ってもらい、力を貸し続けてもらいたい」
須藤さんは、残りの人生をハイ チにささげる決意を固めている。
【写真説明】ハイチ大地震の被災者に支援を 呼びかける須藤昭子さん=大阪府守口市の関西医大