2009年12月4日金曜日

きょうの試験。。。

このところ自分でもびっくりするくらい更新しているけど、読み返してみるとあんまり医学部で勉強しているって内容じゃないよね。笑 ってなことで、きょうの一日はこんなかんじでした。はい。



朝一番に、寄生虫学のクイズがありました。でもって、きょうの授業範囲は、Hemoflagellateです。眠り病になっちゃう、あれです。アフリカにツェツェ蠅っているじゃないですか、あれが媒体になっちゃっている、あれです。笑 興味ある方は、以下のURLで見てみてください。
Trypanosoma brucei
http://www.dmacc.edu/instructors/human.htm


もって、今日の昼には、生化学の試験があったので11時前に、5分程度で昼飯を学食で食べちゃいました。ものすごく不健康じゃない?笑 学期休みに名古屋大学の学食で久しぶりに飯を食べたんだけど、5分ぐらいで食べていくひとはいなかったような。。。


生化学の試験はこの間の実験と実験に関する臨床例の発表が範囲でした。早めに試験を終えて、午後の組織学の試験準備に。。。


この組織学の試験が結構曲者で、、、、いままでは午後1時半に開始といいながらも、実際に始まるのが2時ぐらいだったんだけど、前回の試験はまさに予定通り1時半に始まっちゃって、僕が到着したときにはもう試験が始まっていました。もう冷や汗。。。


前にも書いたかもしれないですが、フィリピンの時計はどれも正しい時間を表示してなくて、大学内の時計もどれも違う時間を指していて。だからものすごく不便を感じることが多かったです。とはいうものの、郷に入っては郷に従えなので、時間よりも早くいくことにしました。ここんところは。。。


今回も僕の時計(UTC Universal Time, Coordinated)を示しているのですが(日本でこんなことを書くと笑われちゃいそうですが、、、、)、予定の1時半よりも15分も早く、はじまりました。試験は。。。でもって、いっぱい試験問題もあるのに、20分とのこと。。でもって、この20分も教授の時計というか、感で20分なので、実際は15分くらいだったりするんです。。爆笑 これって、、、、、、、、どうよ。


無事に試験を終えてから、きょうは授業がないはずだったけど、急遽授業が入りました。涙。。実習がなかっただけ救われたけど、、、眠さはピークでした。授業中。


再来週は一週間試験が続くので、今から準備しないと終わらない、、、かも。


最近睡眠時間が短いから、体調もイマイチなので、今日こそは寝ないと!!


それじゃ、みなさんおやすみなさい。




2009年12月3日木曜日

聖フランシスコ・ザビエル

きょうは聖フランシスコ・ザビエルが帰天した日です。557年前の1552年12月3日に46歳で亡くなりました。カトリックでは、亡くなった日を「帰天」と呼んでいます。

聖フランシスコ・ザビエルは、カトリック修道会イエズス会の創設者のひとりで、日本にキリスト教を布教した司祭です。歴史の教科書で学んだり、写真を見たことがあるひとも多いと思います。詳しくは、wikiを見てね!(ちょっと手抜きだけど、、、)

聖フランシスコ・ザビエル について Wiki

去年までイエズス会の大学に通っていたので、この12月3日前後は大学祭となりお休みでした。大きなごミサも大学のチャペルでありました。今年から転校したので、この聖フランシスコ・ザビエルの祝日もなくて、ちょっとさびしいですが、うちでお祈りをしました。

フィリピンのごミサ(典礼)は音楽がすばらしく、イエズス会もたくさんの曲を提供しています。中でも好きな曲は One Thing I Askです。よかったら聞いてみてください。


クリスマスまであと三週間。楽しみが多い12月ですが、明日は三教科も試験やクイズがあるので、大変。。笑 合格できるように祈ってください!!!ありがとうございます。



One thing I ask
To dwell in the house of the Lord all my days, 
To gaze on His goodness And walk in His ways. 
He will shelter me; 
He will be my strength.
 In the triumph that He brings me I can hold my head high. 
In His house I shall lift up my voice. 
I will sing, I will praise the Lord.

Based on Psalm 27:4-8
Album and Score book: Hangad
One Thing I Ask from Hangad, Jesuit Music Ministry of Jesuit Communications Foundatation, Inc

One Thing I Ask (Youtube より)

Brian's rib

肉料理も続くと、やっぱり胃もあれちゃうのでしょうか。笑 結構胃がもたれました。

セブ市にはいろんな国の料理があります。大学から比較的に近いところにCasa Verdeというレストランがあります。Casa Verde



ここの有名な料理は、タイトルにも書きましたようにBrian's ribです。ものすごくうまいんです。これが。セブで生活を始めてすぐに医学部長と日本人の先輩につれられて食事にいったところがここで、あまりのうまさに感激しました。

昨日は僕の恩師がカガヤン・デ・オロからいらっしゃって、ご馳走になりました。ただ、いつもの量よりもなぜか多くて、本当に食べきるのが精一杯でした。笑 この写真はサイトから貰ってきたものですが、実際はこの1.5倍ぐらい。価格は、370円くらいかな。

セブにいらっしゃる方は是非とも食べてみてください!!

きょうは、夕方に一教科試験があって、明日は3つ。。。涙。

2009年12月1日火曜日

停電

きょうの生化学、あれ、何??????笑

気分を取り直して、、、、笑

何だか休みぼけだったのか、授業が終わって、疲れちゃったので、ちょっと休んだんだよね。でもって、夕飯を買いにいこうと思ったら、急に切れました。。。。電気が。

日本だと停電なんて、計画停電ぐらいしかないし、どれくらいで復旧するかわかると思うけど、ここフィリピンですといきなり切れます。電気が。。。。え、、、、って感じで。笑

しょうがないので、いつもの通りろうそくに灯をともしました。なんだか誕生日パーティみたい!!爆笑

先輩のところに電話を入れたら、これから大家さんのところへ行くということで、ご一緒させていただきました。昔日本のマグロ漁船で働いていらっしゃった方です。ご夫婦ともとても親切な方で、いきなり先輩とともに夕食をご自宅でごちそうになりました。笑 日本だと食事の時間帯はさけていくのが普通だと思いますが(フィリピンも基本的には食事の時間をさけていくのは同じで、食事は食べられましたかと聞かれます。。。笑)きょうも遠慮なくいただいちゃいました。笑 

ホントに家庭料理万歳!!!!うまかったです。

この大家さんの家のあたりは停電していなくて、なぜか大学内だけみたい。それも医学部のある本館と僕の寮のあたり。。。。。。。。

停電のおかげでおいしい食事をいただけました。ありがとうございます!!



2009年11月30日月曜日

ありがとう、2009年11月

2009年11月も残すところあと二時間。(フィリピン標準時を基準に。笑)
今月の頭は日本にいて、ほんの少し秋を体験できて良かった。(っていうか寒かったけど、、笑)
カガヤン・デ・オロにおいてきた荷物も届いて、すっかり自分の部屋らしくなりました。
何より、日本航空から来年のカレンダーが届いて、早速壁にかけました。もう気分は2010年!!10年ひと昔っていうけど、2000年問題とか叫んでいたのが10年前だなんてちょっと信じられないかんじ。

明日から、2009年12月。

実はちょっと楽しみがあるんだよね。というのは、日本滞在中に新しい手帳を購入。昨年の秋に、家族からほぼ日の手帳をクリスマスプレゼントで貰ったんだけど、それがものすごく使いやすくて気に入りました。

最初は、2010年のリフィルだけ購入しようと思ったんだけど、ロフトで見たら、これに恋しちゃって、買っちゃいました。笑
http://www.1101.com/store/techo/2010/about_leather/index.html



ここのところ、赤い色をきたりすることもなかったんだけど、なぜか明るい色に引かれるんだよね。

2009年の黒いほぼ日手帳は今日までで、明日からオレンジレッドの手帳で行きます!!

きょうはボニファッシオの休日だったけど、ちょこっと外に出るだけで、あとは家でのんびりしました。明日は二教科も試験なのでがんばる!!

みんなも楽しい一週間を過ごしてください!!

2009年11月29日日曜日

思いっきり「暇なの』って聞かれそうだけど、、、笑

インターネットが部屋で使えるようになってから、結構マメに更新してるけど、自分でも「そんなに暇なの??????」って思うんだけど、しばらく空白期間があったから、更新しようかなってところです。笑 それにしても、blogって不思議だよね。こうして公開日記みたいな感じで書いているんだけど、本人にしてみると、自分の手帳に書くのとあんまり変わらなくて。笑 きちんと書いたものが更新されるから、何となく続けられそうだし。数年後また読み返す機会があったら、これまたこっぱずかしいけど、面白そうだし。。学生だから出来る技みたいでしょうか。笑 何を言っているかさっぱり分からないのですが、、、


ま、そんなこんなで、そんなに暇でもないけど、かけるところまで書いてみようかなってところです。はい。


きょうは、日曜日だったので、医学部の先生とともにブランチを。いつもお目当ての豚の丸焼き(フィリピン料理で一番有名な食べ物)がなくて、、、待っているのもおなかがすいちゃうので、他のものにしました。笑 写真を撮れば良かった!!


それから、プロテスタントの日曜礼拝に行ってきました。(ちなみに僕はカトリックなのですが、、、笑 主日のごミサは土曜日の夜に預かっているので、、、)便利なのは、セブのショッピングモール( Ayala Centre)というところはショッピングモールなので何でもあって、日曜日には朝から昼までに、9時半と11時半に二回、日曜礼拝があります。牧師先生(カトリックだと司祭、ないしは神父様)が話をするのですが、結構いいかんじです。先週は有名な女医さんでかつ牧師先生のお話がありました。フィリピンの歴史をひもといた話ですごく面白かったです。  きょうは、ちょっと疲れていて、寝ちゃいました。。冷汗  実は場所は普段、映画館でエアコンがバリバリきいていて、でもって、椅子がチョー気持ちいいんです!→そんなこんなで寝ちゃいました。(だいぶ言い訳っぽいよね。これって、、、、)


日曜礼拝を終えてから映画を見ることに。


映画はたまに見に行くのですが、今回はNinja Assassin...韓国のpiさんが主演で、すごい体でびっくりしました!あんまり知らなかったのですが、そんなに鍛えてどうするの?ってくらいで、、ちょっとひがみも入ってますが、、笑 ショーコスギさんも出ていて、まさにニンジャっぽい話でした。ただ、とても出血するシーンが多くて、泣きそうでした。解剖や実物の出血は気にならないですが、映画の出血はグロイ!!!! とはいっても、映画は結構面白かったかなあ。おすすめです。日本でももう公開されているようです。個人的には、となりの2012を見たかったんだけど、、、


映画がおわったのが3時半ぐらいだったので、小腹がすいたとのことで、Ayala Centeを出たのですが、目的のところはしまっていて、別の店へ。。以前二年生の日本人の先輩(教授)と先生と四人でいったことがありました。これが結構うまくて、豚の丸焼きっぽいものをピーナッツソースをベースにしたもので食べます。よくよく考えたら朝からほとんど野菜を食べてないことに気がついた!!
窓の外にはストリートチルドレンが、残りをよこせよーーーと窓をたたくけど、もうお皿には何も残っていないのであげられず、、。


食事を終えてから、急遽Ayala Centreへ戻ることに。先生に急用が入ったために。せっかく戻ってきたのだから髪の毛を切りに、benchというカジュアルウエアの専門店の美容院できることに。たまたまいつも切ってもらっている、Frankさんの予約がひとりだったので切ってもらえました。話によると12月は二週間目から朝から晩までずっと予約がいっぱいだそうです。というのも、毎日どこでもクリスマスパーティがあるので、そのためにみんなおしゃれするからだそうです。そういえば、僕らの医学部のクリスマスパーティも12月19日土曜日だし。。。今年は、白がモチーフで、みんな白をきなくては行けなくて。。。これから調達をしないと。


またどうでもいい一日を書いてしまった。。。


火曜日は試験が二つもあるから、これから予習をしないと。明日がボニファッシオ(フィリピンの革命家)の祝日なので、勉強できるからいいか!!


日本の皆さん、おやすみなさい。


2009年11月28日土曜日

宿霧地區醫學大學校総合體育大會


きょうはここセブ市の医学部が一同に集まり、体育大会がありました。さしずめ日本だったら東医体か西医大でしょうか。セブ市内には四校の医学部があります。母校の、
Southwestern Universityをはじめ、
Cebu Doctor's University
Cebu Institute of Medicine
University of Visayaです。


それにしても、まだはじまって歴史が浅いからでしょうか、あんまり連絡系統が徹底してなくて、開会式(日本人は好きでしょう。こういうの。。。)の場所も時間も知らなくて、、、。僕は出場するFlag Footballの試合の集合時間と場所に合わせて大學を出ました。こんなときはやっぱり大学内で家があると便利だなあと思います。ハイ。 医学部まで歩いて1分!


結局開会式は旧聖心高校(と言っても女子校ではなくて、カトリック修道会イエズス会の運営する高校なので、男子校です。ちょっと話がそれますが、上智大学も大昔は男子校だったそうです。)であったそうです。笑 それも朝の7時から。そりゃ、無理でしょう!!!すっかり夢心地の中でした。朝の7時なんて。。。笑


Flag Footballのキャプテンが11時に集合だからと携帯へテキストを送ってきたので、珍しく20分くらいの遅れで到着したんですが、、、、、、、


会場に行っても設営をしているひとたちだけで、誰もいないんです。


誰も!!!!笑








すっかり忘れていました。ここは、日本じゃなくて、


菲律賓!!!!!!!!!!でした。










でも、こんなのは結構ざらなので、来週の試験範囲のpptのファイルを読んでました。みんなが来るまで。


結局集まりだしたのは、12時40分ぐらい。


すみません、、、、、、、、、、キックオフは13時じゃないんでしょうか???????


うちのチームだけじゃなくて、試合相手もきてなくて、、、すると他の種目と重なっちゃっていて、一試合目から二試合目に変更になりました。自動的に。。。。


Flag Footballですが、日本で最近小学校でやっている、タグラグビーみたいです。タックル、スクラムなしで、、、ということで、男女混合の試合でした。


一試合目はなぜか、二時間ぐらい試合をやっていて、止まり止まり、
前回大学内の総合体育大会のときはこんなに長くなくて、、、こんなに長かったらヤダなと思ったんだけど、そんなに長くなかったです。


とはいっても、なぜか、ここが重要なのですが、なぜか、試合相手はレフリーの判断が気に入らなかったみたいで、後半戦を途中で棄権しちゃいました。


????????????


って感じでした。ラグビーをやってた僕としては、びっくり!!!レフリーは絶対だし、途中で棄権されちゃうのも初めてだったのでびっくり!!!!


この総合體育大會は一日でおわりなので、終わってからすぐに最終戦が。。。笑 最終戦です。。。


残念ながら負けてしまいましたが結構いいところ行っていました。っていうか、きょうはラグビーの試合があったのですが、残念ながらこれと重なっていけませんでした。涙。


何はともあれ、見に来てくれた人ありがとう!!!笑


そうそう、きょうの帰りに、大学の近くの店で買ったアイスがゲキマジにうまかったです。日本のチェリオみたい。http://www.kingsicecream.com/
27ペソでした。50円くらい。











2009年11月26日木曜日

帰省中なのか寄生虫

今学期は規制中学が(この変換はなに???????きせいちゅう=寄生虫とすぐに変換されないんです。笑)

ということで、日本だとあんまり見られなくなったからなのか、変換までうまく行かない。笑

さて、後期は寄生虫学の授業が週に二コマ、それと実習も二コマあります。(ちなみに、前期は神経解剖学が同じようなコマ数で授業がありました。)

昔は、寄生虫は日本でも一般的な病気だったんと思うのですが、いまでは小学校でも寄生虫検査も全学年ですることもないんですね。ギョウ虫テープはどうなっちゃたのでしょうか。。。笑

そんな寄生虫ですが、フィリピンではまだまだ健在です!!!ということで、かつての寄生虫学教室が免疫学教室になっていくなか、ここフィリピンでは寄生虫学教室は輝いています!!!

生まれて初めて寄生虫についてこんなに深く学ぶことになったんだけど、これが結構面白い!!!何が面白いかと思うと、ウィルスとか、光学顕微鏡じゃ見えないじゃないですか。すると電子顕微鏡なんかがないここでは本の中の写真でしか見られないので、面白くない!!やっぱり、光学顕微鏡でひとつひとつ見ていくのがやっぱり勉強でしょう!!

ということで、いまはアメーバ類。
そうそう、毎回講義の前に小テストがあるので、緊張感をもちながら教室へ。。。



こんな感じ。どんな感じで成長していくのか楽しみで、、、、笑

今度は定着してない検体をチェックしてきます!

明日は朝から生理学の試験があって、それから寄生虫学の小テスト。

がんばります!

がんばれ!日本航空!!

ようやくインターネットがつながるようになったので、気楽に常時接続でメールが送れたり、こうしてブログも更新できるんだよね。ホントうれしい〜♪


で、最近気になることは「日本航空」のことかなあ。


難しいことは分からないけど、日本航空はこれからも世界中の空を飛んでもらいたい!!!


子どもの頃から鶴丸に乗っているから、日本航空には思い入れが多いです。
日本航空の機材を見ると「これから日本へ帰れるんだ!!。」みたいな。


マニラから日本行きの便に乗ると、やっぱりそこは日本なんだよね。(最近はフィリピン人クルーも増えているけど)いまは学生だからたくさん乗って貢献することは出来ないけど、、、。


がんばれよー。日本航空!!!




2009年11月24日火曜日

部屋はあれ気味

寝坊しないで良かった。。。。

昨日の夜は結局寝たのが深夜1時半過ぎ。今日提出の生理学の短いレポートがあったので、その確認をしてたらあっという間に深夜になっちゃって。。。。ちょっと要領悪すぎでした。ハイ。

iphoneのハープの音に揺られながら目を覚ますと、ちょっと遅れて携帯電話にSMSが入りました。いま到着したので、桟橋には6時過ぎにきてもらえれば大丈夫とのこと。寝過ごさないで良かった!!といっても、目覚まし時計の時間よりは1時間多く寝ちゃっていたんですが、、、

それにしても、すごい雨の音。

ここのところセブはものすごく天気がよくて、もう日本の真夏のような天気でした。ある意味非常に気持ちのよい毎日でした!!!(残念なことに解剖学教室から眺める外の風景はまるでリゾート地。。。。っぽい感じ。←あくまでも遠くの海ね!!←ここが重要なところです!!)何となく雨に浄化されている感じがしました。

そんなこんなで気がついたらもう5時45分を過ぎちゃって、これから大学病院の正門からタクシーを拾わないと行けないんだけどうまく乗れるか一瞬不安だったけど、こことぞというところの運はいい方なのであっさり乗れちゃいました。でもって、道も早朝なのでスキスキでした。良かった!!

フェリーも到着したばかりでまだひともおりてきませんでした。おりてきたのは箱に入ったひよこと、大束の人参。爆笑  さすが、農業をリードしているミンダナオ島からのフェリーです。

三十分ほどしたらミンダナオ島でお世話になった家族がおりてきました。半年ぶりの再会!!

途中省略 笑 ちょっと面倒になってきたので、、

そうそう、タイトルの「部屋はあれ気味」だよね。

そうなんです。誰でもそうだと思うけど、引っ越ししたときは案外モノってないじゃないですか。僕も全くそうだったのですが、数年間すんでいると結構ものが増えて、特に本類がものすごく増えちゃって、、、、、。大半の本はミンダナオ島の家に残してきました。これは次回に持ってかえることで、今回は洋服屋文房具や身の回りのものがやってきました。ありがたいことに、日本の優れた文房具が届いたので良かった!それと長年絵を描こうと思って水彩画のセットも届いたので、絵を描いてみようかな。笑 全く絵心がないけど。。。

洋服は、こんなのもあったなあ、、、、、、、、、ってモノがいっぱい。

フィリピンは日本のように収納がほとんどないので、使わないものは箱に入れちゃうことになりそうです。

ちょっと疲れちゃったので寝たいところです。いいかなあ。寝ちゃって。

明日はまた寄生虫学の試験があるので、いつものように早起きをしないと。。

それでは、おやすみなさい。

なんだか子供の日記じゃーん。笑

何ごとも新しいのに限る!!!断言

11月も気がついたらもう三週目は終わっちゃったの?ってな感じで、気がついたらもう四週目に入っちゃってました。マジで。。。

つい一ヶ月間に日本でのんびりしたと思ったら一ヶ月後には中間試験、みたいな感じで。

今週一週間はまた試験週間となりました。

きょうは解剖学の試験があったのですが、だいぶなれてきたなあと思った解剖学なのですが、きょうのは、まさに「え??????????」

だってね、乾燥しちゃっているんです。ご献体が。というのもフィリピンだと一般的なのですが、日本と異なり献体は常時ホルマリンに漬けている訳ではないので、一年間の解剖が終わると、上肢、下肢なんかに分けられて、乾燥させちゃっているようです。

きょうの試験は、筆記だけじゃなくて、判別試験もあり(中間試験、期末試験のような大きな試験だと一緒にやっちゃうんです。)ました。この判別試験が結構大変で、45秒以内でひとつの献体でふたつ判別しなくてはいけないんです。乾燥していて、また方向が必ずしも生徒にとってフレンドリーじゃないから、見ても??????????????
ってな具合で、今日もまさにそんなたくさんの??????がいっぱいでした。涙。

明日は、カガヤン・デ・オロから荷物が届くので、早朝にセブ港桟橋へ行かなくては、、、

起きれるかなあ。。ちょっと心配。

ということで。

2009年11月22日日曜日

元気ですか。Pinoy Medical Studentです。

前回の日記が2008年4月1日?

自分でもびっくりしちゃいました。そんなに前だったっけ?どれだけこのサイトを見ていらっしゃる方がいるか分からないですが、とりあえず元気です!!とりあえず元気というのは、昨年の秋にちょっと体調を崩して日本におりました。この6月に無事にフィリピンへ帰ってきました。寒い日本で暮らすのはちょっとキツかったです。笑

この6月からセブ島のセブ市に大学を転校して、セブ在住となりました。セブというと日本ではよく知られた観光地だと思いますが、まさにその通りです!!自分でもびっくりしています。素朴なミンダナオとは違ったところです。

何が一番びっくりしたかというと、とにかくいろんな種類のレストランがあること。おいしいフィリピン料理だけではなく、韓国料理、日本料理、タイ料理、中華料理、イタリア料理、フランス料理などなど。僕が気に入っているのはAyala Centreの"Oh Geroge"というレストランです。ちょっとしゃれた雰囲気のお店で、ここのオリエンタルサラダやパスタ、そしてデザートもうまいんです。セブへいらっしゃる方は是非とも!!

肝心な勉強の方ですが、新しい大学はSouthwestern University Matias H. Aznar Memorial College of Medicine (略してMHAM- CM)です。
http://www.mhamedu.org/
http://www.swu.edu.ph
創立63年の古い医学校です。(マニラ以外では本校がはじめての医学部です。)

大学内の寮で生活をしているので大変便利です。医学部長をはじめ先生方もものすごく親切です。インターネット環境もようやく整ったので、また少しずつアップしています。

Cheers!

PMS






2008年4月1日火曜日

久しぶりに更新!

いやぁーーー光陰矢の如しとはいったもので、早いものでもう4月1日。
ともだちからは、blog更新しないの?って言われたり、雲隠れしているのって言われたり。笑

ちゃんと生きています!!ちゃんと学生しています。

近々更新いたします。よろしく。



2007年10月30日火曜日

後期登録完了

雨のカガヤン・デ・オロから、こんばんは。

早いもので2007年10月もあと一日となりました。よくよく考えてみると、2007年も残すところあと2ヶ月。時間の経過を感じます。

さて、きょうから医学部も後期の登録が始まりました。こちらの場合は、学期ごとになっているために学期ごとに受講手続きをしなくてはいけません。日本の大学のシステムと大きく違うことで、学部間の移動が比較的に簡単であること、また大学間の移動も同様であること。そんなこともあるために、学期ごとの登録になるのではないかと思います。

たとえば、前期だけ看護学部を受講して後期から、教育学部に転部することもあったり、あるいは、前期だけ医学部に登録して、後期は受講しないないなど様々です。医学部の場合は、すでに学部を卒業していて、中には、海外でやっぱり働いた方がおかねになるからということで、看護師、臨床検査技師、理学療法士の免許を持っている人は海外に行ってしまうケースもあります。後期からいなくなっちゃう同級生もいるのではないかと思います。

何はともあれ、3月まで、一歩ずつがんばります。

後期は、生化学、神経解剖などがメインで覚えることがいっぱいです。



2007年10月16日火曜日

学期休み

前回blogを更新したのが、2007年9月4日だからちょうど一ヶ月と11日前。ずいぶんと長い間更新してなかったのだなあと実感しました。

この一ヶ月前期試験があったりして、その準備におわれていました。11月5日まで休みなので、まめに更新したいと思います。

この学期休みの間は、同級生は実家に帰ったり、旅行に出たりといろいろとですが、僕はしっかりと復習と予習をしたいと思います。みんなよりもちょっと遅れているので、反復勉強をして少しでも、身につけないといけないです。

いい意味での緊張感を持続することも休みの課題だと思います。出来るだけ、大学の図書館で勉強したり、数人で勉強をしたいというひとと学ぶこともいいかと思います。夢の中で覚えたことがいっぱい出てくるので、正直寝ることに集中したいと思うこともあるのですが、夢の中でもう一度整理するのもそれなりに効果があるかな。

そうそう、医学生ということなので、医療現場もちょこっと見学に生きたいと思っています。あまり手を広げない程度で。

きょうのカガヤン・デ・オロは晴れ渡っています。



2007年9月4日火曜日

何があっても前向きに突き進むことだ。立ち止まるなよ


何があっても前向きに突き進むことだ。立ち止まるなよ。

吉行あぐりさんの著作をドラマ化した「あぐり」の中での台詞です。
今からちょうど十年前にNHKの朝のドラマで放送されていました。毎朝これを見るのが日課でした。(見られない時はしっかりと録画をして。。)

どんなことがあっても、前向きに生きる吉行あぐりさんってすごいな、って思いました。ドラマを主演された、田中美里さん、野村萬斎さんの演技が良かったです。

僕も人生いろんな岐路に立つことがありました。いまも人生の大きな岐路から前に進んでいます。

たゆまない歩み、Ever Onward

これからもがんばって医学の道をあゆみます。



2007年8月30日木曜日

まる2年。2005年8月30日 火曜日




Monday, 29th of August, 2005
Japan Airlines 741 Tokyo/Narita 09:40 departure -- Manila 13:00 arrival

Tuesday, 30th of August, 2005
Air Philippines 533 Manila 08:40 departure -- Cagayan de Oro 10:05 arrival

Friday, 2nd of September, 2005
Cebu Pacific 382 Cagayan de Oro 07:15 departure -- Manila 08:40 arrival

Monday, 5th of September, 2005
Japan Airlines 746 Manila 09:30 departure -- Tokyo/Narita 14:45 arrival

2年前の日程表です。

早いもので、カガヤン・デ・オロに初めて来てから丸2年が経ちました。この2年の間にいろいろなことがありました。過ぎてしまうと本当にあっという間でした。きょうという日に改めて感謝です。

きょうの朝は、2年前と同じく少々曇りでした。マカティで迎えた8月30日の朝は晴れそのものでした。ともだちが迎えにくるはずだったのですが、寝坊をしてしまい僕はそのままタクシーでマニラ空港国内線へ移動しました。当時は、アキレス腱を切ってしまったあとだったので、取り外しの出来るキャストをはめたままでした。

国内線では無事にチェックインをすませて国内線ターミナルで出発を待っていました。

なにしろフィリピンはまったくの初めてだったのですが、あまり緊張をすることもなくのんびりしていました。ちょうどミスドがあったので、そこでミスドをほおばりながら。あれから何回この国内線ターミナルで飛行機を待ったことでしょうか。

フィリピン航空と提携のエアフィリピンに搭乗。約1時間20分の旅でした。東京から福岡に飛ぶくらいでしょうか。時間的には。

空や海を眺めながら、どちらも真っ青で気持ちがいいな。

カガヤン・デ・オロ空港(通称ルンビア空港)に到着前に、何故かすぐに戻ってきてここで生活をするんだろうなって思ったことが今でも印象に残っています。

飛行機を降りみると、本当に個人まりとした小さな地方空港です。

僕が初めてのフィリピンということで、大学からBalchand神父様が出迎えにきてくださいました。大学はイエズス会の運営です。Balchand神父さまは大学のイエズス会の院長先生です。笑顔がすてきな方で、僕が快適に過ごせるようにいろいろと気を使ってくださいました。本当に感謝です。不思議な縁は続くもので、こちらで生活をはじめてから、カトリックの霊的指導をしてくださっています。

大学に到着する前に、大学の附属施設で東南アジアリーダーシッププログラムや、附属高校を案内してくださいました。改めて、大学の規模の大きさにびっくりしました。

少々雨が降ってきたのですが、気分は浮き浮きでした。Carmen橋を渡り、大聖堂の前を通りホテルへ。実はこのホテルその後の僕の同級生のご両親が経営されているホテルだったんです。びっくりしました。はじめて話を聞いた時は。何せ、僕のカガヤン・デ・オロライフの始まりはまさにCasa Crystallaでしたので。

ホテルの部屋に荷物を置いて、大学内にあるLoyola House(イエズス会司祭館、上智大学にあるSJハウスと同じ)で昼食をごちそうすることになりました。日本から来たということで、いろんな方をご紹介いただきました。なかには学長に就任されたばかりのVillarin神父さまとも初対面でした。先生は以前上智大学に留学されたこともあり、日本のこともよくご存知でした。それにしても、日本では考えられないくらい若い学長先生です。非常に魅力的な先生です。

昼食を終えてから、医学部の事務長さんがいらっしゃいました。その方こと、現在のホームステイ先の家族です。本当に縁は不思議なものです。

事務長さんに連れらて、医学部長、副医学部長、地域医療主任教授と面談をすることになりました。留学のいきさつ、どんなことを将来したいのかなど、さまざまなアドヴァイスを受けることになりました。非常に和気あいあいとしたなかで話が進みました。課題は多いのですが、がんばろう!という気持ちが強かったことを思い出します。

その後、副医学部長のご案内で、授業見学をすることになりました。きょうの授業も解剖学だったのですが、二年前のはじめての見学も解剖学でした。当時のことを解剖学の教授と話したのですが、本当に二年も過ぎたなんてびっくり、という感じでした。

2005年8月30日はあっという間に過ぎてしまいました。この夜は、大学の前にあるファーストフードの店でハンバーガーセット購入してホテルで食事をしました。少々疲れていたので、そのまま寝てしまい、深夜に目を覚ましました。すると学生が、それも女子学生がまだ歩いていて、この街がいかに安全かということを感じました。

もちろんその後、二度寝をしたことはいうまでもありません。笑

ちなみに、こんばんは、お手伝いさんに頼み、カツカレーを作ってもらうことに!!Tataさんは非常に料理がお上手で毎回感動しています。満足満足。。。

ちょっとこれから一休みをして、明日の予習をします。



2007年8月25日土曜日

デング熱その後

先日、デング熱についてお話しいたしました。実は僕のまわりの方が数名デング熱に感染いたしました。そんなこともあり、デング熱について書かせていただきました。幸いなことに、無事に退院することが出来てました。

不思議なことはあるもので、今月は、公衆衛生の授業で感染症について学び、特にデング熱についてまなびました。加えて、PBLでは、血液学がテーマで、その中で止血についてもまなび、止血帯テスト(ターニケットテスト)について実習がありました。まさに、デング熱のように血小板数が減少している患者さんの状態をチェックする時に行うものだったのでこれまた教室でただ単に学ぶだけではなく、お見舞いの時に、肌の状況をチェックさせてもらって、いろいろと学ばせてもらいました。

デング熱に感染されたということで、積極的にTawatawaの葉を煎じたものをお飲みになっていて、状況が改善されていたのもとても印象的でした。近代医療だけではなく、伝統的な薬草治療も効果があるんですね。こちらの保健省では、薬が手に入らない場合に薬草で代用することを勧めています。またこちらも機会を見つけてご紹介したいと思います。



外務省のサイトより
デング熱

http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/kakuron03.html


1. はじめに
デング熱は、デングウイルスを保有した小型のヤブ蚊(ネッタイシマカ、ヒトスジシマカ)に刺されることにより感染するウイルス性の疾患です。その流行は東 南アジア、南アジア、中南米諸国で多く、感染地域は中国南部、南太平洋諸島、アフリカにも拡大しています。デング熱患者は過去30年間で劇的に増加し、世 界では年間約1億人の患者数と推定されています。

デング熱を媒介するネッタイシマカは、熱帯の都市環境に良く適応していて、ヒトの生活圏、例えば家屋内外の小さな水たまり(空き缶、水 槽、竹の切り株、古タイヤ)で繁殖します。卵は乾燥しても生き延び、再び水を得るとボウフラになりますが、孵化したボウフラは約10日と短期間に成虫にま で発育します。このネッタイシマカは昼間吸血性で、日の出後と日没前の数時間に最も活発になりますが、日陰や室内、曇天では一日中活動します。その飛行範 囲は100m程度と比較的狭く、家屋に沿って移動すると言われています。都市型のデングウイルスは蚊→ヒト→蚊の感染サイクルで維持され、ヒトからヒトへ の直接感染はありません。デングウイルスは、血清学的に4つの型がありますが、型による症状の軽重はありません。例えば2型に感染した場合、2型に対して は終生免疫がありますが、4つの型があるため、理論的には4回感染するわけです。しかし、3度目以降の感染は殆ど無いと言われています。

日本では1942年〜1945年に、長崎、神戸などの西日本でデング熱の大流行がありました。これは、戦争中に東南アジアから戻った軍 用船中のデング熱罹患患者によって持ちこまれたもので、当時はヒトスジシマカが伝搬を受け継いだと考えられています。現在、日本国内にはデングウイルスは 常在しておらず、国内のデング熱患者は全て海外で感染した輸入感染症です。その殆どが東南アジア諸国への旅行者で、患者数は近年増加傾向にあります。

2. 症状
デングウイルス保有の蚊に刺されて(感染)から発症するまでの期間(潜伏期)は、普通4〜7日です。症状は、急激な発熱(38〜40度)で始まり、頭痛、 関節痛、筋肉痛、眼窩痛、倦怠感を伴います。発熱は4〜8日間継続し、痒みを伴ったハシカ様の発疹が、熱の下がる頃に胸部や四肢に広がることがあります。 また、食欲不振、全身倦怠感は1〜2週間続き、血小板が減少した例では、鼻出血、歯肉からの出血、生理出血の過多を見ることもあります。通常、これらのデ ング熱の症状は1〜2週で軽快し、後遺症を伴うことは殆どありません。デングウイルスに感染しても症状の出現しない例(不顕性感染)も多いようですが、そ の頻度については不明です。

3. 検査
血液検査の特徴は、発症の初期より白血球の減少(通常 2,000/ul以下)と血小板の減少がほぼ全例に見られることです。血中のデングウイルスIgM抗体は、発症の4〜5日目頃から陽性となり、この時点で デング熱の診断が得られます。このIgM抗体は2〜3カ月で陰性化しますが、別のタイプのデングウイルスIgG抗体の上昇は発症の3週頃から長期にわたっ て認められます。また、殆どの患者に血清のトランスアミラーゼ(GOT、 GPT)の軽度上昇(肝機能障害)が見られます。

発症の初期(4日頃まで)には血中にウイルスが存在するため、この期間にデングウイルスの分離やデングウイルス遺伝子の検出も可能です。このDNA検査により、デングウイルスの型を知ることもできますが、これらは特殊な検査ですので途上国では一般的でありません。

4. 診断
急性の熱性疾患で、頭痛、筋肉痛、関節痛、眼窩痛、発疹、出血傾向などデング熱を疑わせる症状があって、デングウイル ス抗体(IgM、IgG)やデングウイルスの分離、ウイルス遺伝子の検出があれば、デング熱の診断は確実となります。症状が似ていてデング熱と鑑別を必要 とする疾患には、発疹を伴うウイルス性疾患(麻疹、風疹)、腸チフス、マラリア、インフルエンザ、髄膜炎、A型肝炎などがあります。症状のみでは、デング 熱の診断はできません。

5. 治療
デング熱に対する特効薬はありません。治療は症状に応じた対症療法が基本で、脱水予防に経口による水分補給や点滴補液療法が重要となります。解熱剤には、 パラセタモール(アセトアミノフェン)を用いるのが一般的で、アスピリンは出血傾向を増強する恐れがあるので禁忌です。また、抗生剤はデング熱には効果が ありません。

6. デング出血熱:DHF
デングウイルスの感染でありながら、デング熱とは異なった重篤な病態を呈するものにデング出血熱があります。このデング出血熱は、成人より小児(3〜7歳)に多く発症する傾向があり、患者数は世界中で年間25〜50万人と言われています。

発熱の2〜7日後に不安・興奮状態となり、胸水や腹水の貯留が高い頻度で見られ、肝臓の腫大も伴います。血小板数の著しい減少と血液凝固時間の延長によ り、全身の出血傾向(皮下出血、鼻血、吐血、下血、血尿)が見られ、重症例では血圧が低下しショック症状に陥るもので、通常のデング熱とは全く異なった経 過をたどります。デング出血熱の患者に対する治療は点滴補液が主体ですが、血小板減少の程度により血小板輸血が必要となります。適切な治療がなければ、死 亡率は15%程度に上りますが、集中治療により、その死亡率は1%以下に押さえることができます。同じデングウイルスの感染でありながら、デング熱とは異 なった病態のデング出血熱は、初回感染より2度目以降の感染に多い傾向があります。このデング出血熱が、どのようなメカニズムで発症するかは諸説あり、今 のところ不明です。

7. 予防について
現在、デング熱予防ワクチンは実用化されていませんし、マラリアのような予防薬もありません。ネッタイシマカはヒトの生活圏で繁殖しますので、蚊の繁殖す る環境を徹底的に排除すること(空き缶の処理、貯水槽の管理)が最も重要と思われます。また、蚊に刺されないよう外出時には虫除けスプレーを用いたり、室 内では蚊取り線香を使う等の蚊に刺されないような注意が大切と思われます。

一般に高層の集合住宅に住む方が、独立家屋よりデング熱の感染リスクが低い傾向がありますので、住居選びの際の参考にして下さい。

8. 症例
スリランカ在住の15歳女性が、日本に帰国した当日に突然の発熱で発症しました。その翌日に開業医を受診し、重症との ことで感染症専門病院を紹介されて入院となりました。入院時には40℃の発熱、頭痛、筋肉痛、関節痛、全身の倦怠感があり、腸チフスやデング熱が疑われま した。血液検査では、白血球と血小板の数が著しく減少しています。高熱は5日間続き、その間身体がだるく食欲は全くありませんでした。入院中は、点滴療法 が行われています。次第に熱が下がり、症状も軽快したことから第6日目に退院となっています。入院中、肝機能検査でGOT、GPTの軽度上昇を認めていま すが、第10日目が最も高い値を示しました。経過中にデング熱特有の発疹は認められていません。この症例はデング熱IgM抗体が陽性であったことでデング 熱の診断がつきましたが、症状だけでは診断がつかなかったと考えられます。また、第24日目の血液検査では、白血球、血小板、肝機能のいずれもが正常化 し、後遺症を認めず治癒しています。この患者さんはスリランカで感染し、帰国後に発症した中等度のデング熱の一例です。


2007年8月21日火曜日

それこそ思いがけないことで



blogでもThe Secretについて書きましたが、プログラムの中で紹介されていたことを実践してから、不思議なことをたくさん経験しています。きょう体験したこともまさにびっくり!

いまから三週間前に、タフな時計が欲しいなあって思っていました。というのは、日本出発前に、お気に入りの時計を直してもらったのですが、時間を合わせようとしたら、リューズが壊れたんです。ナイキの時計なのです。日本からせっかく送ってもらって、プールでもどこでも使えるかなと楽しみにしていました。そんなこともあり、タフな時計が欲しいなあと思っていました。

タフな時計といえば、カシオのGショック。早速、専門のサイトを見たりしてました。気になったものは、電波時計で、太陽電池で動き、世界時計で、アナログ時計でした。でも、値段も立派なものでした。笑 いまは新しい時計を購入する予算がないので、またの機会かなって思ったんです。

きょう、同じ街で生活をする日本人のともだちから、渡したいものがあるということで、連絡をいただきました。僕はてっきり、旅行土産かと思っていました。これを読んでいらっしゃる方は、すっかり想像がついていると思います。そうなんです。僕がサイトで見た時計を、いただいたんです。最初見たときに本当にびっくりしました。こんなことってあるのかなって思いました。うれしくなって、写真に撮りました。笑

今朝、久しぶりに親戚の子にメールを送ったのですが、その時に、何故かGショックのことを思い出したんです。女医さんで、Gショックを使っていて。何の脈略もなく思ったので、その時は全く気がつかなかったのですが、きょう丸一日の展開を振り返ると気づかせだったんですね。あまりに出来すぎていると思われる方!僕もびっくりしているんです。本当に。

スペッくは以下のようです。すごい時計ですよね!本当に。Sさん、ありがとうございます!!大切に使わせていただきます。

G-SHOCK初のアナ/デジ・コンビネーションモデルAW-500が復活。
G-SHOCKでは初めて対衝撃アナログ/デジタルのコンビネーションモジュールを搭載したAW-500がTHE-Gとなって復活!ラウンドのケースデザ インや、凸凹のないシンプルなバンド形状はそのままに、電波受信機能とタフソーラーを搭載。ベゼル上部のPROTECTIONの文字や、時計・分針のカ ラー、形状、側面ボタンの色までこだわり再現しています。また、電波ソーラーの機能性、実用性から3つ液晶部を設け、進化した文字板には、AW-500に も採用されていた落下時の衝撃をグラフ化したショックアブゾービングカーブをデザイン。往年のデザインを色濃く残しながらも、正統進化したコンビモデルで す。
・G-SHOCK初のコンビモデルAW-500を踏襲したデザイン
・電波受信機能(国内2局自動選局/北米電波対応)
・タフソーラー
・操作音のON/OFFが可能なミュート機能

共通仕様

■電波受信機能(周波数40KHz/60KHz自動切換え/北米電波対応)
■フルオートカレンダー
■耐衝撃構造
■タフソーラー(大容量ソーラー充電システム)
■フル充電時約6ヶ月駆動(パワーセービング状態で約15ヶ月)
■パワーセービング機能
■20気圧防水機能
■ワールドタイム機能(世界48都市)
■ストップウオッチ機能(1/100秒、60分計スプリット付き)
■タイマー(セット単位1分、最大セット60分、1/10秒単位で計測)
■時刻アラーム(時報)
■LEDライト(スーパーイルミネーター)
■素材 樹脂+ラバーバンド
■サイズ(H×W×D)/重さ:55.2mm×47.6mm×14.2mm/約51g




2007年8月20日月曜日

ネコがほしい!!


自宅ではネコを飼っています。まる2歳になるネコです。ご覧の通りのネコです。一緒に生活をしたのは、2005年10月に三週間。2006年4月の二週目から6月までのふた月。ことしの春に一ヶ月半。合計で、4ヶ月ちょっとしか一緒に生活をしたことがありません。久しぶりに日本に帰ったときは、ひとみしりが激しくて、引っ掻かれそうになりました。フーっていって怒っていました。(涙)

とはいうものの、ことしはの春にかえったときはだいぶ慣れてくれたようなので、良かったです。

それにしても、ネコはかわいい!!愛着があります。子どもの頃からネコを飼っていたので、やっぱりネコの方が犬よりも好きかもしれないです。

いまホームステイ先の家でも以前ネコがいたのですが、外に遊びに出たときに、ねずみ取りを食べてしまったらしく、そのまま死んでしまいました。死んでいたところを、お手伝いさんが見つけてきました。その後にやってきたネコも途中でいなくなっちゃいました。ちょうどその頃は、生物学科で脊椎動物解剖学の授業があり、ネコを解剖がるので、ネコをどこで手に入れようかと悩んでいました。

こちらのホームステイのお母さんが、冗談でしょうが、

「ネコを探しているなら、うちのネコを大学に持っていったら?」といったんです。

ネコはしっかり聞いていました。真剣に。

翌日からいなくなり、消えてしまいました。やはり殺気を感じたんだと思います。

その後、家の増築が始まり、ネコが家にいないことから、おがくずや木材のところにネズミが発生。家にもネズミをよく見かけることになりました。フィリピンではネズミって一般的ですが、日本ではあまりみかけないですよね。

そんなこともあり、いま家ではネコを新たに飼おうかという話が出ています。やっぱりネコがほしい!!しっかりネコを洗ってきれいにして、一緒にネコと寝たい。笑

うちのネコはいったい何をしているんでしょうかね。いまごろ。